蔦の渕
愛知県北設楽郡東栄町を流れる大千瀬川に懸かる滝が蔦の渕(つたのふち)。落差10m、幅70mと川幅いっぱいに懸かる滝で、地元では「奥三河のナイアガラ」と呼ばれています。蔦の渕には竜神伝説があり、竜宮城へ繋がっているとの伝説…
愛知県北設楽郡東栄町を流れる大千瀬川に懸かる滝が蔦の渕(つたのふち)。落差10m、幅70mと川幅いっぱいに懸かる滝で、地元では「奥三河のナイアガラ」と呼ばれています。蔦の渕には竜神伝説があり、竜宮城へ繋がっているとの伝説…
福島県郡山市にある高柴デコ屋敷は、郷土玩具の三春駒(みはるごま)と三春張子人形の発祥地。発祥地には現在4軒のデコ屋敷(デコ=木彫りの人形)がありますが、木彫りから絵付けまで一貫工程で三春駒を製造するのは茅葺屋根の店を構え…
福島県郡山市開成の福島県立安積高等学校の敷地内にあるミュージアムが安積歴史博物館(あさかれきしはくぶつかん)。旧福島県尋常中学校本館を再生したもので、国の重要文化財。明治11年、明治政府の士族援産政策で開拓された安積。開…
石川県金沢市湯涌町、養老2年(718年)開湯という歴史ある湯涌温泉の共同湯が湯涌温泉総湯白鷺の湯。近郷の農夫が温泉で癒すシラサギを見て発見したと伝えられることが名の由来です。現在の総湯は、平成11年にリニューアルされた近…
福島県郡山市逢瀬町にある8.4haの都市公園が浄土松公園。浄土松山を中心とした広大な公園で、松が点在して茂る様から「陸の松島」とも呼ばれています。近年、SNSなどで注目度がアップするのが、公園内の奇岩「きのこ岩」。その形…
石川県加賀市、かっては、日に七度色を変え、「彩湖」と言われた湖が柴山潟(しばやまがた)。今江潟、木場潟、柴山潟の加賀三湖(海跡湖)のひとつで湖畔には片山津温泉があり、湖に面して片山津温泉が建っています。周囲7kmの柴山潟…
石川県加賀市、加賀温泉郷のひとつ、片山津温泉の中心にある共同湯が片山津温泉総湯。柴山潟の湖畔にたたずむガラス張りの建物で、お洒落な美術館のような外観。「潟の湯」、「森の湯」2つの浴室に「まちカフェ」が併設され、2階には白…
北陸でも有数の温泉郷・和倉温泉(石川県七尾市)の温泉街の中央にある共同湯が和倉温泉総湯。初代の総湯は明治32年に建てられたもので、現在の建物は平成23年に建てられた7代目のもの。大浴場には、打たせ湯、サウナ、バイブレーシ…
石川県金沢市粟崎町からかほく市に至る延長20kmの砂丘で、日本海と河北潟(かほくがた)を隔てるのが内灘砂丘。途中、河北潟干拓事業で造られた河北潟放水路が通っていまする。幅1km、平均標高約20mの砂丘は、かつて「米軍試射…
石川県加賀市橋立、北前船の船主集落として加賀市加賀橋立伝統的建造物群保存地区に指定される加賀橋立。江戸時代から明治中期にかけて、日本海の舟運として活躍し、京・大坂と北陸を結んだ北前船の船主・酒谷家の屋敷と庭園が北前船主屋…
江戸時代から明治にかけて、蝦夷地と大坂を結んだ西廻り航路に活躍した北前船。その船主や船頭たちが集中して住んだ船主集落が石川県加賀市の橋立地区。最盛期には日本一といわれるほどに北前船で繁栄した船主や船乗りたちの住宅が軒を連…
石川県加賀市橋立町(加賀市加賀橋立伝統的建造物群保存地区)にある蝦夷地(北海道)と西国を結んで日本海を航海した北前船(きたまえぶね)の船主の邸宅を再生したミュージアムが北前船の里資料館。北前船の寄港で賑わった橋立港の北前…
石川県加賀市の山代温泉にある共同湯が、総湯。江戸時代の山代温泉は、湯の曲輪(ゆのがわ)と呼ばれる総湯(共同湯)を中心に宿が立ち並び、温泉街を構成していますが、その湯の曲輪の再生で、かつての総湯を明治の湯浴みを復元した古総…
石川県加賀市の山代温泉には、湯の曲輪(ゆのがわ)の再生で、以前の総湯(共同湯)を再生し明治時代の総湯を復元した古総湯と、新しい総湯というふたつの総湯が誕生。そのうち古総湯は、明治時代の総湯を復元したレトロな雰囲気が自慢。…
15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山中の標高2430mに位置するマチュピチュ(Machu Picchu)。そのマチュピチュに似ていることから、「日本のマチュピチュ」などと称される場所が全国各地に存在します。そのなかか…
愛媛県今治市にある真言宗豊山派の古刹、延命寺。寺伝によれば養老4年(720年)、聖武天皇の勅願により行基が創建といい、かつては近見山にあったという。弘仁年間(810年〜824年)、嵯峨天皇の勅願で空海が堂宇を再興、不動院…
愛媛県新居浜市の別子銅山(べっしどうざん)の跡、「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるマイントピア別子東平ゾーンにあり、最盛期の東平の鉱山、社宅、学校などをジオラマ、地形模型、写真などで解説するミュージアムが東平歴史資料館(と…
愛媛県新居浜市で別子銅山の採鉱本部跡のあった東平(とうなる)一帯が、マイントピア別子東平ゾーン。採鉱本部跡、貯鉱庫跡などが山中に残り、その雰囲気から東洋のマチュピチュとも呼ばれています。大正5年から昭和5年までの間、別子…