一石一字塔
北海道えりも町の百人浜、悲恋沼の脇にある石塔が一石一字塔。江戸時代半ばの文化3年(1806年)に建立された花崗岩の石塔。襟裳岬周辺は、海難事故が多く、その遭難者の魂を鎮魂するための碑。仏教の経典の文字を浜石に記した写経の…
北海道えりも町の百人浜、悲恋沼の脇にある石塔が一石一字塔。江戸時代半ばの文化3年(1806年)に建立された花崗岩の石塔。襟裳岬周辺は、海難事故が多く、その遭難者の魂を鎮魂するための碑。仏教の経典の文字を浜石に記した写経の…
北海道えりも町も百人浜にある展望塔が百人浜展望台。国有林緑化事業観察塔として建てられたもので、周囲に高台がないため、百人浜や悲恋沼はもちろん、日高山脈まで一望にします。道道34号(襟裳公園線)の悲恋沼駐車場が展望台入口で…
北海道えりも町、襟裳岬(えりも)から庶野(しょや)まで続く15kmの砂浜。百人浜のバス停前にある一石一字塔は、江戸時代に南部藩の御用船が難破し、この浜で息絶えた100人の乗組員の供養塔。これが百人浜の名の由来となっていま…
栃木県日光市、馬返と中禅寺湖を結ぶ国道120号がいろは坂で、完成時には合計48のカーブがあったためにいろは坂と名付けられたもの。開通時は対面通行の有料道路でしたが交通量が増え、第2いろは坂を増設。いろは坂の有名な展望台は…
栃木県日光市、奥日光の三岳(みつだけ/標高1945.0m)北麓にある小さな湖が切込湖・刈込湖。切込湖と刈込湖は狭い水路で結ばれた実質的にはひとつの湖。ダケカンバ、ヒバ、コメツガなど亜高山帯の原生林に囲まれて静かな湖面をた…
栃木県日光市、神橋の上流にある大谷川の奇勝が憾満ヶ淵(かんまんがふち)。男体山(なんたいざん)から噴出した溶岩流でできた渓谷で、岩上に慈雲寺を創建した晃海僧正(こうかいそうじょう=天海大僧正の弟子)が建立した不動明王像が…
北海道広尾町の海岸線を走る国道336号(黄金道路)途中のルベシベツに立つ江戸時代の道路開削を記念して立てられた石碑が近藤重蔵道路開削記念碑。当時、急峻な日高山地に阻まれて、十勝と襟裳・日高を結ぶ満足な道路がなく、近藤重蔵…
北海道えりも町、襟裳岬から百人浜にかけての道道34号襟裳公園線沿線に広がるクロマツ林は、開拓以後の広葉樹の乱伐で砂漠化した土地の緑化事業(百人浜緑化事業)で誕生したもの。気の遠くなるような営みで面積421haの松林が誕生…
北海道広尾郡広尾町、国道336号(黄金道路)の広尾橋から襟裳岬(えりも町)方面に少し走ったフンベ地区の海岸に落ちる滝がフンベの滝。フンベとはアイヌ語のフンペ(humpe)で、クジラの意(フンと音を出すもの)。つまり海流の…
福島県耶麻郡磐梯町に湧く、磐梯西山麓湧水群の代表格が龍ヶ沢湧水(りゅうがさわゆうすい)。江戸時代には会津藩の命で、旱魃に襲われても涸れることがない湧水のため、磐梯山(噴火以前)、慧日寺(えにちじ)と並び大規模な雨乞いが行…
栃木県真岡市にある江戸時代に二宮尊徳(にのみやたかのり)が桜町領の復興事業(報徳仕法・桜町仕法)を行なった役所跡が桜町陣屋跡。小田原藩主・大久保忠真に手腕を認められた二宮尊徳(二宮金次郎)は、野州桜町の復興の命を受け文政…
栃木県小山市にある墳丘長117mの前方後円墳が摩利支天塚古墳(まりしてんづかこふん)。吾妻古墳 (栃木県栃木市/6世紀後半・127.85m)、琵琶塚古墳 (摩利支天塚古墳のすぐ北側に隣接/6世紀初頭・123m)に次いで栃…
北海道浜中町、霧多布(きりたっぷ)の海岸線を走る道道123号(太平洋シーサイドライン)、立岩近くにある小さな岬が涙岬。その名の通り人の横顔のような岩で、波や霧で泣いているように見えることがその名の由来。厚岸(あっけし)の…
北海道厚岸郡厚岸町(あっけしちょう)、厚岸市街の南、太平洋に突き出した岬が愛冠岬(あいかっぷみさき)。愛とロマンの岬、愛が実を結ぶ岬と長年PRされ、カップルに人気の岬ですが、実は岬の名前は、アイヌ語の「アイ・カップ」(a…
北海道河東郡上士幌町、大雪山南端の高原地帯を利用してつくられた日本最大の公共育成牧場がナイタイ高原牧場で、広さはなんと1700ha(東京ドーム358個分)。丘陵地帯の牧草地には、3000頭以上のホルスタインが放牧されてい…
北海道えりも町。襟裳岬の北側、日高山脈の森のなかにひそむ北海道屈指の秘湖が豊似湖(とよにこ)。上空から眺めると、ハート型をしているユニークな形の湖で、エメラルド色の湖水をたたえています。アイヌの人々には、「カムイトウ」(…
栃木県小山市にある墳丘長124.8mの前方後円墳が琵琶塚古墳。吾妻古墳 (栃木市・壬生町)に次いで栃木県第2位の巨大古墳で国の史跡になっています。思川と姿川に挟まれた宝木台地上の古墳で、古墳時代後期(6世紀初頭)の築造。…
栃木県芳賀郡茂木町(もてぎまち)入郷にある美しい棚田が入郷石畑の棚田(石畑の棚田)。中山間地の谷津田が棚田を形成し、2.4haに180枚の棚田があります。耕作する農家は十数戸で、「入郷石畑棚田オーナー制度」がつくられ、棚…