姫路城

日本の近世城郭のなかでも、築城当時の姿を残す唯一の存在といわれる姫路城。歴史は古く、1333(元弘3)年、播磨の守護職・赤松則村によって、砦が築かれたのが始まり。羽柴秀吉により、さらに池田輝政が現在の城郭を建築しました。天守群は国宝に、そして姫路城として世界遺産に登録。日本さくら名所100選、日本100名城に選定。

優美な姿は白鷺城としてあまりにも有名

1580(天正8)年、羽柴秀吉の中国攻略のため、黒田官兵衛は羽柴秀吉に姫路城を献上。
羽柴秀吉は翌年、3層の天守を完成させ、本格的な城郭整備がなされました。
その後、関ヶ原の合戦まで木下家定(きのしたいえさだ/妹がおね=秀吉の正室・北政所)が16年間姫路城主となっていますから西国警備の役割を担う姫路の重要性がよくわかります。

「白鷺城」(はくろじょう)といわれる見事な姿が形づくられたのは、1600(慶長5)年入城の池田輝政の頃。
城域を拡張し、5層7重の大天守を築いています。

次の城主、本多忠政(ほんだただまさ=徳川四天王・本多忠勝の子)は三の丸、西の丸を造営し、ほぼ現在の姿となっています。
1749(寛延2)年には酒井忠恭が前橋から姫路へと転封し、以降、明治維新まで酒井氏が城を治めています。

城郭見学の入口は三の丸の奥に位置する菱の門

泰平の世となった江戸時代には、優美な櫓や天守が示すように、戦うための城より、城主の威厳を示す「外観重視」の城へと変貌。
しかし城の随所には、武者隠しや石落しなど、俗に「12のからくり」と呼ばれる、防御のための仕掛けも残されており、これも鑑賞のポイントのひとつ。

明治維新後、内曲輪のうち三の丸や中曲輪(内堀と中堀の間)には陸軍歩兵第10連隊が進駐し、多くの建物が破却されましたが、中村重遠工兵大佐の尽力で、大天守群や櫓群が破却を免れ、後世に伝えられました。

江戸時代以前に建設された天守が残る「現存12天守」の一つで、中堀以内のほとんどの城域が国の特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が国の重要文化財に指定されています。

太平の世となった江戸時代には、三の丸が藩主の生活の場となり、御殿が建ち並んでいましたが、陸軍の進駐で御殿群は破却され、今では三の丸広場などになっています。
城郭見学の入口は三の丸の奥に位置する菱の門で、そこから先が有料エリア。

平成21年からの姫路城大天守保存修理事業も平成27年春には完了し、新しく蘇った美しい天守群がそびえています。

内堀内には1000本ほどのソメイヨシノが植栽され、三の丸広場の桜並木や西の丸庭園のシダレザクラなどが天守群を背景に美しく咲き、「日本さくら名所100選」に選定されています。
例年の花の見頃は4月上旬。

姫路城が世界遺産に登録の理由とは!?

平成5年12月、日本で初の世界文化遺産に指定。
登録された評価基準は、
・その美的完成度が我が国の木造建築の最高の位置にあり、世界的にも他に類のない優れたものであること
・17世紀初頭の城郭建築の最盛期に、天守群を中心に、櫓、門、土塀等の建造物や石垣、堀などの土木建築物が良好に保存され、防御に工夫した日本独自の城郭の構造を最もよく示した城であることです。

姫路城
名称姫路城/ひめじじょう
Himeji Castle
所在地兵庫県姫路市本町68
関連HP姫路城公式ホームページ
電車・バスでJR・山陽電鉄姫路駅から徒歩15分
ドライブで山陽自動車道山陽姫路東ICから約6km
駐車場市営大手門駐車場(600台/有料)、市営姫山駐車場(250台/有料)、市営城の北駐車場(150台/有料)
問い合わせ姫路城管理事務所 TEL:079-285-1146/FAX:079-222-6050
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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姫路城・化粧櫓

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姫路城・ぬの門

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姫路城・りの門

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姫路城・備前門

備前丸の入口にあるので備前門と通称されていますが、江戸時代の正式名称は東入口門。築城当初、池田家が城主だった時代には備前丸に城主の居館(本丸御殿)があったことから、備前丸防備の要として機能した門です。居館のなかでも御台所や御料理之間に近いと

姫路城・ちの門

姫路城の搦手(裏口)側の登城ルートと、備前丸からの登城道とをつなぐ位置にある小さな門が「ちの門」。横には番所があり、井郭櫓が聳えています。番所には、常時警護の武士が詰め、搦手からの出入りを監視していました。慶長年間築の二間棟門で、国の重要文

姫路城・との一門

姫路城の搦手(からめて=裏側)の最後を守る門が「との一門」。切妻造りの楼門で、延長20mに及ぶ「との一門東方土塀」とともに国の重要文化財に指定。「との一門」は、木の地肌を活かした素木造り(しらきづくり)の門で、近世城郭以前のものとも推測され

姫路城・姥が石

姫路城の連立天守群の建つ天守台の北西、乾小天守(いぬいこてんしゅ/乾=北西)北側の石垣に「姥が石」(うばがいし)と通称される伝説の石があります。築城の際の転用石にまつわるエピソードですが、実は後世の創作という疑いも大で・・・。秀吉時代の石垣

姫路城・水二門

水一門(水の一門)に続いて連続して登場するのが水二門(水の二門)。水一門と同じ簡素な棟門で、違いといえば水一門が片開きなのに対し、水二門は両開きという点。水二門は慶長年間の築で国の重要文化財に指定。天守に向かうのにまだ下り道が続く![cap

姫路城・油壁

姫路城「ほの門」をくぐった先にあるのが油壁。山土に豆砂利を加え、餅米の研ぎ汁や粥(かゆ)などで練り合わせた土を仮枠の中で叩き締めて築いたものと説明されていますが、実際には菜種油などを混ぜ込んでいる可能性も大です。工法から推測して池田輝政築城

姫路城・ほの門

姫路城の登城ルートで天守群を目前にする最後の門が「ほの門」。石垣上の土塀の下の一部を切り取って門にした埋門(うずみもん)で、往時の門が現存し、「イの渡櫓南方土塀」の付属として国の重要文化財に指定されています。本丸北側の腰曲輪を守備する重要な

姫路城・にの門

菱の門から始まった二の丸の最奥の位置にあるのが乾曲輪(いぬいくるわ)です。堅固な門の「はの門」をくぐると、さらに隅櫓式櫓門の「にの門」が待ち構えています。江戸時代初期の慶長年間築の門が残され、国の重要文化財に指定されています。本丸入口を守る

姫路城・はの門

姫路城の登城ルートで、高麗門の「ろの門」をくぐると、国の重要文化財に指定の櫓門「はの門」へと続く長い坂道となります。「はの門」は坂の上にあり、坂の下から見あげると、正面に天守閣が見え、敵に天守閣がすぐそこだと錯覚するように造られています。現

姫路城・ろの門

菱の門、「いの門」を突破すると、その先にあるのが「いの門」と同様の高麗門である「ろの門」。江戸時代初め、慶長年間築の脇戸付高麗門がそのままに現存し、国の重要文化財に指定されています。美しい高麗門連続で防備が甘いかといえば、銃弾が降り注ぐ恐ろ

姫路城・るの門

姫路城の城攻めの際に、菱の門を突破した敵軍は、三国堀の脇をまっすぐ進めば「いの門」で、正規の登城ルートとなりますが、右手にとれば一見行き止まりな感じがしますが、実は石垣の陰に隠れて門が配されています。これが「るの門」です。「いの門東方土塀」

姫路城・いの門

菱の門をくぐった正面に位置する門が姫路城「いろは門」(現存するのは13門)の最初となる「いの門」です。慶長年間に築かれた脇戸付きの高麗門(こうらいもん)が現存し、国の重要文化財に指定されています。菱の門をくぐったら、次は「いの門」へ![ca

姫路城・三国堀

姫路城の菱の門を入ったところにある四角い堀が三国堀(さんごくぼり)。ここで登城道は左手へ「いの門」へと続く二の丸本道と、右手の「るの門」へと導く間道の二手に分かれますが、その要所をおさえる重要な位置に築かれた堀です。水確保という目的もあった

姫路城・菱の門

姫路公園に入り大手門をくぐると三の丸広場。広場を抜け、登城券売場で入城券を買い、最初に目にするのが二の丸の入口を固める菱の門となります。城内にある21門のうちで最大の門で、柱や扉はケヤキ材を使っていますが、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋(花

姫路城・三の丸広場

大手門をくぐった先が三の丸。芝生の広がる三の丸広場にはかって、向屋敷御殿、武蔵野御殿、三の丸御殿、数奇屋などがびっしりと並び、石垣上には3層の櫓が3基、2層の櫓7基が多聞櫓と結ばれていました。天下泰平の世になると播磨姫路藩初代藩主・本多忠政

姫路城・城見台公園

平成5年12月に世界遺産として登録されたことを記念して、姫路城ビューポイントを公募。「世界遺産姫路城十景」が定められましたが、そのなかでも記念撮影に絶好のポイントが城見台公園。姫路城へのメインルートからはずれ、観光的には見逃しやすい場所です

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